言葉を発することの難しさ
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— 借金玉 (@syakkindama) 2016年11月22日
すごく共感出来るアレを見つけたので貼っておきますね。
うまく表現できないんだけど、言葉が意味や論理じゃなくてイメージや語感で横滑りするというか、言語化すると支離滅裂だけど自分の中ではそれなりに連関する言葉の連なりがあって、それをアウトプットする際に他人に伝わるように成型し直す作業を習得するのにすごく苦労した。
— 借金玉 (@syakkindama) 2016年11月22日
治療法ですが、僕の場合は「社会にタコ殴りにされる」と「とにかく文章を書きまくる」を平行でやったらマシになりましたね。当時はADHD診断出てなくて二次障害の躁鬱が悪化しまくっており、あの時コンサータがあれば人生もうちょいマシだったと思う。
— 借金玉 (@syakkindama) 2016年11月22日
「演説」「プレゼン」「議論」とかはいいんですよ。あれは基本的には文章書くのと同じスキルツリー鍛えれば対応出来るから。論理でおおまかにゴールを設定してそこまで言葉を積めばいいだけ。でも会話はそうじゃないから大変。常に場当たりで言葉を制御しなきゃいけないの本当にきつい。
— 借金玉 (@syakkindama) 2016年11月22日
@syakkindama 俺の場合口頭で会話するときに喋りたい内容に対して類義語やコロケーションの近い言葉の組み合わせ(喋る、話す、伝える等)が複数思い浮かんだ後絞り込む作業が脳内でいつも発生するんですけど近い感じですか
— イド (@ido_mazine) 2016年11月22日
@ido_mazine 近いですね。ただ、僕の場合もっと抽象的で非論理的な概念が無秩序に紐付けられていて、それらが単語にくっついて飛び出してくる感じです。
— 借金玉 (@syakkindama) 2016年11月22日
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— 借金玉 (@syakkindama) 2016年11月22日
概念としてはこれが近い気がする。「家族的類似」
この手の「言葉を発することの難しさ」、自分も多少は似たところがあるんだけど、こういうことに悩まない人って本当に悩まないんだろうなと想像する。