わたしとインターネット・わたしとはてな
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
インターネット体験のはじまり
1994年、入学した学校の計算機室でアカウントをもらう。目の前にはX-Window端末と九工大の人が書いた教科書があった。これがわたしとインターネットとの出会い。
授業内容はUNIXの操作方法とプログラミング。NewsGroupの読み方を教わり、面白くて読みふけっていた。今でいうクソレスは既にあって「フレーム」って名前が当時からあったと記憶している。誹謗中傷で某SFCの学生が退学処分になったって話を聞いたけど真偽は知らない。
まだWebブラウザの存在は知らなくて、インベーダーゲームっぽいものをしたり、先生に「mule(テキストエディタ)は強制終了させるのではなくきちんと終了させましょう」「パスワードは真面目につけましょう、名字がパスワードなんてダメよ」と言われる日々を過ごしていた。
Webブラウザを知る
1995年のある日、「モザイクってのがすごいらしい。うちの計算機室でも使えるようだ」という話を聞く。インベーダーゲームっぽいものに変わる新しい遊びツールを手に入れた。使ってみたら確かにすごかった。
NASAやNTTのページとか、どっかの国のコーヒーメーカーの画像とかを見た。これはすごい!世界が変わるぞ!と直感した。
個人サイト黎明期
しばらくして、学校の計算機室からでもワールドワイドにHP発信ができることが判明し、同級生の管理者(会ったことも話したこともない)にメールで連絡をとり自分のpublic_htmlディレクトリを作ってもらった。
国内の個人HPは、東京理科大にたくさんあってランキングまであった。bekkoameとかの個人で使える商用プロバイダが出始めてきてた。そこにも面白い人たちがたくさんいた。
ホームページを作るにはhtmlというものを書かないといけないらしい。そしてNTTのページに書き方が載っていた。それ見ながら夢中になってHPを作った。計算機室のカギを閉めに来る先生に追い出される日々。あの充実感・エネルギーは何だったのだろう。
ちなみにその頃、学校のプログラミング実習でプログラムを作らなきゃいけなかったんだが、わけわからなくてできる見込みもやる気もなかったんで課題も単位もあきらめていてHPの閲覧と自分のHP制作ばっかりしてた。でも単位はなぜかとれていた。課題提出してないのに。エヴァンゲリオンTV版が再放送で火が付いた頃の話。
HP作って面白いHPの人たちに「初めまして!相互リンクしてください!」というメールを送りまくるという恥の多い人生を送っていた。そうするとだんだんと交流ができてくる。一部の人たちとは実際に会うこともあった。当時「オフ会気持ち悪い」って流れもあって自分や相互リンク相手もそんな感じだったんだけどいつの間にかみんな普通に飲み会するようになっていた。イベントまでする人もでてきた。
イベントのストリーミング配信って1998年の時点でやる人はやっていて、これも衝撃的だった。個人で生中継ができる?すごい!私は夜中に研究室に入り込んで観てた。
似たようなことを考えている人は意外にいる
HP始めてうれしかったことの一つは、「自分と同じようなことを考えている人ってのは近い場所になくてもどこかにはそれなりに存在している」ということ。誰かが「生まれや育ちは違っても、たまたま知り合ってお互いが持っているものを見せ合ったら同じものを持っていた」という意味のことを言っていて、まさにその通りだと思う。
ひと区切り
学校でのインターネット体験も終わりが来る。学校での個人HP運営のあるあるとして、おかしな人がHP制作者でなく先生にクソメールを送るというイベント*1というのがあるが、そうでなくても卒業・退学というイベントも来るので、私もプロバイダとテレホーダイを契約して自宅からHP運営を続けることになる。
自宅での引きこもりHP運営になっても、HPを通じて知り合った人たちとの交流は続き、実際に会うことは無くても何をしているかはなんとなく把握できていた。そして新しい知り合いも増えていった。
はてな
まだブログという概念すらなかったが、インターネット上のサービスというのはその当時も色々生まれては消えていった。ReadME!J APANとか県人会とか。そんな中、id:mukekata さんから、「はてなアンテナ」なるサービスが誕生しテスト的にユーザを30名(50名?)募集しているらしい、ということを聞いた。私も早速ユーザ登録した。これがはてなとの出会い。
その翌年(?)に開かれたはてなオフ会には行けなかった。残念。
以上、わたしとインターネットの出会いから、わたしとはてなの出会いまで。
*1:これに限らず、私におかしなメール送ってきたおかしな人たちのフルネームは未だに覚えている
アウトドア動画の紹介
COVID-19により中止された世界最大のアウトドア映画祭”Banff Mountain Film Festival 2020"が、今年上映されるはずだったムービーをオンラインで無料公開することにしました。やることがカッコイイ。
— Wako🏠 (@w4k0t0) 2020年3月25日
ニュージーランドでロックダウンが今日から始まったので、毎日一つずつ紹介していこうと思います。 pic.twitter.com/PsQ6TNBFnQ
このツイートの先にたくさんの映像作品が紹介されている。
無職になった後の税金について&失業保険や再就職手当のメモ
脱社畜サロンが教えてくれない、フリーランスの税金の種類・控除 - だいちゃん.com
自己都合で会社を辞めて、転職した時に「再就職手当」と「就業促進定着手当」を申請して50万円貰ったことがある。
— 井 章弥 / OneQuest (@fumiya_077) June 28, 2019
知らなかったら0円。
知っていて申請したら50万円。
日本の社会保障はいつもこんな感じ。
何か困ったことがあれば、調べよう。#日本にお金を学ぶ文化を創る https://t.co/PbKqFCEa4l
一区切り
まだ具体的なヴィジョンは見えていないですが、いままでの房総オルタナティブライフは一区切りなのでしょう。次のステージに向かうタイミングなんだと思います。
とのこと。
ここ数年、小屋暮らしブログやアーリーリタイアブログをいくつか定期的に読んでいる。
「普通に生きる」「普通の人間になる」という呪縛に囚われている人が自分も含めとても多いのではないか?という問題意識がある。この呪縛は結構人を狂わせる。
「普通の人生」という概念を口にする人を見ると、「健康のためなら死んでもいい」というフレーズを思い出す。
「普通の人間になれるんだったら死んでもいい!」これ、ギャグとかではなくて、切実にこういうことを思いつめる人って確実にいる。
息をするように「普通」でいられるってことはものすごい能力であり、それができる人はその能力を自覚し大事にしてください。